〜 2003.tka's Simple life〜8/12〜9/8
8月12日    『 私は本を読む 』 

 行動的、社交的、と評される事の多い私であるが、実はその反面 趣味は読書である。
 
 子供の頃から本を読むことが好きだった。
 7つまで過ごした団地のそばには、建ったばかりの大きな(子供の目には)図書館があり
 母と幼い弟と3人で よく通った。
 気に入った本は何回でも借り、そのたびにワクワクしたものだ。
 
 学校にあがると図書室の本を借りて読んだ。
 引越しのために3つの小学校を渡り歩いた私だが、その学校学校で置いてある本が微妙に違い
 それは私にとって とても嬉しい発見だった記憶がある。

 本は その存在自体は小さな物であるが
 読み進むにつれて どんどんと広い世界がひろがっていく。
 行った事も見たこともない世界にも容易に行けるし
 会った事もない人の考えを知る事も出来る。
 はっとするほど、自分の抱えている状況に酷似した境遇の登場人物に出会うこともあり
 従って その人物と一緒に 他の登場人物の言葉に励まされたり気づかせてもらったりする事も多々ある。

 テレビは 例え録画したとしても どうしてもその場にある一定の時間拘束される感があるが
 本であれば 少しの時間でもどんな場所に居ても
 好きな時にその世界に入れるし、本を閉じるだけで簡単に終わりにする事ができ、いつでも続きが読める。

 高校生の頃、バレーの練習にあけくれていた時でさえ本を読んだ。
 試合の合間、休憩時間、5分でも10分でも読んだ。
 当時夢中で読んだのは歴史小説で、故 黒岩重吾の描く飛鳥の時代を良く読んでいたっけか。
 私は基本的に濫読派で、小説からエッセイ、漫画本、何でも読むのだが
 その時気に入った作者がいると、その作者の本を徹底的に読み尽くすところがある。

 社会人になると、図書館に行く時間がなくなったが お給料の許す限り買って読んだ。
 同じ本を何度も読み返すくせがある私には、それもよかった。
 結婚してからは、働いていても自分の事に使うお金の余裕がなかったので 古本屋に通った。
 ささやかな贅沢だった。
 離婚を決意して家を出る前の悶々としていた時期は
 ベビーカーを押して再び図書館に通った。
 赤ん坊が寝ている時に自分の本を読み、目を明けている時には絵本を読み聞かせて過ごした。
 そのせいなのか、たんなる血筋なのか何なのか
 4歳の息子も図書館に連れていくと、夢中で何冊も選び
 寝る前には 必ず4〜5冊の絵本を読んでもらうのを楽しみに布団に入る。

 あらためて考えると、私にとって読書は ある意味 現実逃避と言えるのかもしれない。
 何かつらいこと、やるせないこと、どうにもならないこと、友人に話す内容でもないけど 嫌な事、
 そんな時ほど、読みたくなるような気がする。
 一旦、その時心に抱えているものを全てペンディングにして、さっと本の世界に入り込んでしまう。
 徹底的に入り込んでしまうと、その時間自分の問題は確実に遠のき 忘れきれてしまう。
 そして読み終えて本を閉じてから、改めて現実の問題を考えてみると
 不思議なことに とても冷静な、客観的な目で問題をとらえられるようになっている事が多い。

 今日、仕事帰りに久しぶりに小説本を3冊買った。
 特に何があったというわけではないのだけれど、何となく色々な考えが交差していて 
 もしかしたら心が不安定になっているかな〜。。。 という感じがしたので 
 乗り継ぎの電車を40分待つとわかった時、そうだ本を買おう!と決めていた。
 山本文緒 藤堂志津子 群よう子 、いづれもかつてハマッた時期のある作家の新刊を買った。
 電車の中で早速読み始め、ねらいどおりその世界に入り込み
 そして今、これを打ち終わったら再び読み始めるつもりである。続きを読みたくて今実はうずうずしている。
 今すぐにでも読みたい、ページを開けたい、と思う自分をわざとじらすかのように
 一通りの事を全部済ませ、あとは寝るだけ状態になるまでは・・・と我慢 (笑。
 明日はオフ。
 と言う事は、私のことだから3冊一度に読破してしまうかも。。。。。
 いやいや、楽しみは引きのばして1冊で止めておくか。。
 うーん。こう考えてるだけで じつはもう楽しい。
 8月19日    『 愛ちゃんの思い出 』 

 小学3年生の頃、クラスメイトに愛ちゃんという女の子がいた。
 それはそれは綺麗な子で、まるで陶器のようにすべらかで きめの細かい肌をしていて
 まだ9歳なのに、既に女らしい体型をしており、子供ながらにはっとするほど美しい少女だった。

 愛ちゃんがどうやら健常児ではないらしいと クラス全員が気づくまで担任は何も言わなかった様に思う。
 最初はみんな綺麗な子にうっとりするだけだったが、いろいろな決め事を一切守らないし
 それに対して担任の先生がとがめようとしないことで、子供達に不満がつのった。
 でも、時間とともに、ようやく何かが違うことにみんなが気がついた。
 彼女は自閉症という障害をもって生まれた子であった。
 が、9歳児達の集団に難しい言葉は おそらく理解不能だったはずなので、
 ただ愛ちゃんはみんなと少し違う、と認識していたように思う。

 機嫌の良いときは、それが授業中であろうとなかろうと 大きな声で笑ったり踊ったりしていたし
 踊りながら校庭に飛び出して行ってしまうこともあった。
 しかし、突然に様子が変わる事の方が多くて
 さっきまで笑っていたのに、急に耳をふさいで泣き叫んだり どこかに閉じこもってしまって出てこなかったり
 突然全裸になってしまうことも たびたびあった。
 
 愛ちゃんの持つ障害をわかってから、私達は途端に全員で彼女を特別に大切に思った。
 どうしたら愛ちゃんと楽しく学校生活が過ごせるか、学級会をひらいて何度も討議した。
 そして愛ちゃん係りと言う当番を作り、交替で愛ちゃんを専属で見ることにした。
 その日当番になった子は、愛ちゃんが校庭に飛び出せば一緒に追いかけていき、
 愛ちゃんが服を脱いでしまったら、必死に着せた。
 どんなにか困らせられる事があっても、私達は全員が愛ちゃんを愛していた。

 一度、愛ちゃんの家にクラスの子全員が遊びに招かれた事があった。
 照れくささもあったのだろう。愛ちゃんには関係がない些細な事で男子と女子が喧嘩してしまい
 何だか収拾の付かない形でおひらきになった。
 子供心に愛ちゃんのお母さんに申し訳ないなーと思いつつ、後片付け組に残った私は
 お母さんと少し話す時間があった。
 今日の事(みんなで喧嘩になったこと)が悲しいわーという話から、いつしか私の話になり
 あなたは好きな事には全力投球で一生懸命いけるんだけど、そして素晴らしいものをもっていると思うんだけど
 反面興味のないことには全然一生懸命になれないところがあるわねー。
 おばさんもそうだったからわかる。
 でも、嫌いなことでも、いやがらずに大事にしていった方が あなたの将来のためにいいと思うわよ
 と言うような事をいわれた。
 そんな事を今まで人に言われたことはなかったし
 まして大人の人に、対等な話し方で接してもらった経験もなかったので、非常によく覚えている。
 子供なりに厳粛に受け止めたので、今でも自分を振りかえったり反省したりするたびに
 教訓のように この時言われたことを思い出しては 言ってくれた事に感謝する。。
 
 なぜ今急に愛ちゃんの思い出を遠い記憶の中から引き出しているのかと言うと
 先日、自閉症のお子さんを持つ方から ご相談を受けたことがきっかけである。
 
 愛ちゃんと過ごした体験だけでなく
 5年生6年生の時には近所の自閉症の子を毎朝1キロ先の学校に連れて行く担当になっていたし
 所属していた放送部の先生は特殊学級と言われるクラスの担任だった為、
 部の集まりは全てそのクラスで行われており、したがって
 ごく自然に複数の自閉症、ダウン症、多動、の子達と同じ空間で過ごしていた。
 そして仲の良い実姉が就職した先は 精神薄弱児施設であったため
 いろいろな話を聞いていたし、夏休みに我が家に何人か連れて遊びにきたこともあったので
 私の中ではずいぶん良く知っている病名のような気がしていた。
 が、それは単なる たまたま偶然の育った環境なだけであって
 施療家としてきちんと答えられるには 知識も足りず そして実際の自閉症施療経験がない。
 それでもとにかく情報を集めてみようと、今更すぎて 施療家としても本当に恥ずかしいのだけど
 自閉症に関する本を集めて今 読みふけっている最中の私である。
 
 考えてみればいくら数多く接してきたからと言っても、特に今まで専門的に調べてみようとしたことはなかった。
 とても仲良くやってきたように 一生懸命接してきたように 自分に好い様に記憶してきているけれど
 これまで一度も その障害について調べようとも専門書を開こうもしなかったということは
 所詮私の中で 「他人事」と考えていたからに違いない。
 私には関係ないこと、と無意識の中で処理していたからこそ、何も学ぼうとしていなかったのだと思う。
 
 読み進めば読み進むほど 調べれば調べるほど 当時の愛ちゃんの思い出がよみがえる。
 知覚過敏、触感過敏、聴覚過敏・・・・・ だからあの時愛ちゃんは耳をふさいでいたのか
 つなごうとした手をふりほどいたのか。。 同じ言葉をただ反芻していたのか。。。
 この勉強は どうしても愛ちゃんの思い出と 一つ一つ照らしあわすように 私の中で進んでいく。
 今、愛ちゃんがここにいたらばどうしてあげるのが一番良いことだったのか
 もう あれから25年もの歳月が流れているのだが、何となくそう考えていっていまう。
 そして複雑なジクソーのビースをかちっとあわせていくように
 記憶の中の愛ちゃんの行動と、色々な研究発表の文面が一致していく。。

 ちなみに、その後 愛ちゃんは養護学校に転校して行った。
 この学校ではあまりにも良くしてもらいすぎて、愛してもらいすぎて、それは心から嬉しいのだけど
 愛ちゃんの将来を思うと、決して社会は全てそう彼女を許してくれるところではないのだから
 彼女のために居心地の良い所ばかりで育つわけにはいかないから
 と、お母さんは言っていたそうである。(とても聡明な方だった、と私の母から伝え聞いている)
 私自身も その後千葉に転校してしまっているから
 今現在、愛ちゃんがどうしているのか 知るよしもない。
 けれど 今尚くっきりと鮮明な記憶として 私の中に残っている愛ちゃんが
 どうか幸せに今を生きていて欲しい と願わずにはいられない。
 そして、現在も大勢いる 「愛ちゃん」たちに
 自分が今できること、これからしていかねばならないことは一体どんな事だろう
 じっくり考えていこうと思う。
 8月25日    『 続:愛ちゃんの思い出 』 

 前述した愛ちゃんとの学校生活で、忘れられない出来事があった。
 そのクラスの担任のK先生は学校一人気のある若い男性の先生だったが
 ある日、教室の机と椅子を全て後ろに片付けさせてから、「全員集合!」と指示を出した。
 一体何があるんだろう・・・子供達はわくわくして集まり、先生の前に体育座りして待った。
 しかし、先生は口を開かない。
 しばらくして悲しそうに、「もう一度最初からやり直し」と言った。
 子供達は訳がわからず、ガタガタと机と椅子をもとに戻し、それからもう一度後ろに寄せて再度集合した。
 しかし、先生は相変わらず悲しそうに黙り込む。
 そしてまたやり直しを命じたのである。
 一体自分たちの何がいけなくて先生を怒らせ(?)てしまったのだろうと不安になりながら再び机をガタガタ動かした。
 
 それが何度目の集合だったのかは忘れたが、ようやく担任は違う台詞を言った。
 「俺は 3年3組 “全員” 集合、と言ったんだぞ。」 子供達 「・・・・・・・・・・・・・・・。」
 静かな時間が流れた。
 「誰か、俺の言いたい事がわかった奴はいるか?」
 一人の女子児童が手を挙げた。
 「はい。。。愛ちゃんが居ない。。仲間に入れてない。。。」
 あ!と誰かが小さく悲鳴をあげた。
 その瞬間、まるで心臓をぎゅっと掴まれたようなショックを受けた。
 愛ちゃんは、その時教室の隅で楽しそうに一人で笑っていた。
 しん と重く静まり返った教室の中で、愛ちゃんが一人美しい笑顔で声を立てて笑っていた。

 その出来事は、愛ちゃんの居る毎日にすっかり慣れ親しんでいた私達にとって大きなショックだった。
 障害のある愛ちゃんとも仲良くクラスの仲間として過ごしている自分たち、
 という一種誇りのようなものが芽生えていたのが、ガラガラと音を立てて崩れていったように思う。
 それは「誇り」ではなく「驕り」であった、と言う難しい言葉は知らない子供であったけれど
 全身に受けた衝撃と恥ずかしさの後、心の奥底に強く深く刻まれた思いだった。

 障害を持つ人達と同じ職場で働いていた私の兄が、いつかこんな事を言っていた。
 「この国の“ボランティアしてます”〜って言うんじゃなくてさ、もっとサラッと出来ないかって思うんだ。
  もっと自然に出来ないものか、当たり前に関わりあっていけないかって思うんだ。
  いかにも助けてあげてます〜やってあげてます〜みたいなくささが嫌でさ。。。
  どうだい、偉いだろう、いい人だろう、って言う雰囲気が感じられるだろ?
  そういうんじゃなくさ、もっとこう・・・サラッといけないもんかって。。思うんだけど難しいんだよな〜」

 その時の私には 兄の言いたい事がよくわからなかった。
 兄はその後普通に恋愛して結婚した。 
 ただ、彼女は全盲の人であった為(そして離婚経験者だった)為に 父の猛反対を受けてしまい
 現在父子の関係は断たれたままである。
 私の父は一般世間の凝縮版みたいな人物なので、大変わかりやすい差別感を持っている。
 “障害を持っている人”イコール 気の毒な人 イコール 自分には関係の無い所に居る人、なのである。
 兄は、わかり得ない人に わからせようとするのは疲れたと言って離れていった。

 私はお兄ちゃん子で、お兄ちゃん大好きで育っており、父とはぶつかる事が多い子だったから、
 大好きな兄が傷つく姿が悲しかったし、傷つけた父に対して怒りを持った事もあった。
 でもその度に 果たして私は父とどう違うと言うのか、と自問自答してきた。
 私の中にだって、全く差別感がないとは言いきれないんじゃないのだろうか。
 例えば 道で困っている障害者が居れば声をかけ、必要であれば手を貸し
 飛行機や電車や道端やスーパーなどで癲癇発作を起してる人に会えば介抱してきた と言っても
 でもその瞬間瞬間に、自分自身は健常者であるという驕りが全く無いと、果たして言い切れるだろうか。。
 自分で よくわからなくなり、わからなくなるということは、驕りがあるって事なんじゃないかと悩み、
 あからさまな父の方が、よっぽど裏表なくていいんじゃないかとさえ思ってしまっていた。
 
 一体どうしたら健常者の私が、ごく自然に障害を持つ人と関われるのだろう。
 おそらく 子供時代に愛ちゃんと接してからずっと 私の中にあった思いだったのかもしれない。

 そして今ようやく答えが見つかった。
 私は今、一人の施療家なのである。
 せっかく施療家になったのだから 施療家として、障害と関わっていこう。
 それが一番私らしい関わり方だと 気がついた。
 変な気負いも力も入らず、ただ施療家として、きちんと向かい合い関わっていこう。
 ようやく自分の使命が見えて来たように感じて、ほっとした。
 嬉しい。
8月28日    『 箱入り Children 』 

 夕方車で帰宅すると、息子と同級生の友達2人が家の前で遊びあぐねていた。
 二人は幼稚園も一緒で家も目の前なので いい遊び友達である。
 どうしたのーと聞くと、にぃにが(先刻まで一緒に遊んでいた彼のお兄ちゃん)が犬の散歩に行っちゃったんだー
 とさみしそうに言うので、じゃあー追いかけていくか〜と言うと二人ともパッと顔を輝かせて喜んだので
 私もまるで子供のようにバックを玄関に放り出したまま、チビ二人と手をつないで歩き出した。
 にぃにはどっちに行ったの?と聞くと 「きっと田んぼの方だ!」 と言うので
 一応、彼のお母さんに了解をとった。

 我々の家は宅地分譲された小さな住宅地にあって、そこから “田んぼ” までは100Mほどしかない。
 が、それが急カーブの下り坂になっていて、しかも道幅が狭いのに歩道もなく、交通量はビンビンの危険地帯。
 私が子供の頃は 車なんてほとんど通らない、車同士がすれ違う事なんてまずない道だったのだが
 ここ10年ほどで一気に宅地造成が進んだせいで車人口が増えてしまい
 でも道路は昔のまま変わらないため、ただただ危険なのだ。
 以前も書いたが、わが町八街を走るドライバーのマナーは最悪で
 歩行者がいようが自転車がいようが、スレスレをスピードも緩めずにぶっちぎっていくし
 ひどい時はどんなに端を歩いていても、罵声やクラクションを浴びせながら通過する車さえいる。
 だからごーごーと行き過ぎる車からガードしつつ、やんちゃざかりのチビ二人と歩く100Mの下り坂は
 こめかみがギリギリ痛くなるほど緊張する。。。

 何とか田んぼに到着。。。ほーーーーっと全身の緊張がとけるのがわかる。
 子供達は、紐を離された子犬のようにあぜ道を駆け出していった。
 さっそくザリガニやタニシを見つけたり、まだ緑色の山葡萄の木に目をつけておいたりと
 夢中で楽しげに走り回っている。
 どうやら “にぃに” とは結局はぐれてしまったようだったが、
 チビ達は、そんな事より目の前に広がる田んぼと長い長いあぜ道に ひらすら興奮の様子。

 私も子供の頃は この田んぼで遊んだし、小川でタニシもザリガニもとって遊んだ。
 何して遊ぶかなんて考えなくても 毎日暗くなるまで外に居た。
 でも、今のこの町では、こんなに近くの田んぼでさえも
 子供同士で行かせる事は 危険すぎて出来ない。
 せっかく田舎に住んでいても、田舎で遊ぶ楽しさを子供だけで味わうことが難しい。
 だから結局大人の引率のもとでしか遊べなくなってしまう。。
 思いっきり遊ぶ為に わざわざ大人が車を出して、広めの公園に連れて行かなくてはならないのが現状。
 子供の危険な事件も多発している社会だから、その方が安心と言えば安心なのかもしれない。
 でもやっぱりかわいそうだなー。。。と思ってしまうし、こんなんでいいのかなーとも思ってしまう。。。

 子供を危険から守りたい 親なら誰でも思うこと。
 でも 子供は子供らしく、思い切り好きなように遊んでいきながら
 その中で危険も味わって だからこそ自らそれを避けることを学んで
 だからこそ工夫も生まれて、真の友情も芽生えていくんじゃないかと そう思うのだけど。。
 少なくとも私の子供のころは そうやって過ごしてきてた。
 時代が違う、と言われてしまうのかもしれない。
 けれど、やっぱり今の子の制限された遊び方を見ていると かわいそうだなー。。と思わずにはいられないのだ。

 明後日は市議会選挙。
 連日熱心な(うるさいとも言う)選挙カーが回り、電話や訪問による選挙運動も華々しい。
 私にもあるこの1票。。。か。
 さしあたってせめて歩道を造ってくれそうな人が居たら たまには投票してみようかな。。。
 居れば、の話だけど。。
9月2日    『 ねんべ〜 』 

 今日は午前も午後も八街市内の予約だったので、1日八街市内から出なかったし
 八街在住の人としか、お話していない私である。
 そういう日は どうなるかと言うと、どっぷりと八街弁につかってしまうため
 自分のイントネーションも、どっぷり八街っ子になってしまうのだ。
 23年前ここに移り住んだ時は、直ぐにはわからなかった言葉も沢山あった。
 さすがに今では話そうと思えば しっかり八街弁を ごく自然に話せる私である。
 家の父母は何年経っても標準語だけど、子供時代に移った私は もう八街っ子になってしまっているから。。。

 少し その言葉をご紹介してみようかしら。。。

 「ねえよう、ねえよう、」 
 → 何かが無い訳じゃない。誰かを呼ぶ時の声がけである。最初は「ようちゃん」て言う名の子が多いのかと思った。
 「青なじみ」→ アザ の事。
 
 「おっぺす」→ 押す。
 
 「したっけさ〜」→ そうしたらね。
 
 「そうしたいよ」→ そうしなさいよ。  ※従って「やったいよ」 → やりなさいよ。

 「あんだかんよ」→ 何だって言うのよ。

 大抵、言葉の途中に「さ」が入り、語尾が「よ」で終わる。疑問系は「〜かい?」。

 「こっちさ きねーだもんよ」 → こっちに来ないんだもの。

 「よ〜! ここさ あったのによ、あんた知んねーかい?」

 「あっちさ行くべーよ。きねーのかい?」

 この仕事を始めてから知った言葉もあった。
 冷えるなどして痺れるような感じの違和感の事を 「足がずーずーする」 と言うのだそうだ。
 ずーずーする・・・か、 なるほどとてもぴったりする表現だなーと感心してしまってから
 他地域に行って症状を問診する際にも、つい「ずーずーする感じですか?」と聞いてみたくてしょうがない。

 あとこれは八街に限らず千葉県内でよく使うのが
 「〜しないにする。」 遊ばないにする、行かないにする、買わないにする。。。
 するのかしないのか、どっちなんだー!という感じの言い回しなんだけど
 私も つい言ってしまう。
 
 そう言えば昔、会社で大掃除をしていた際に上司が 私にこう言った。
 「じゃあ泉さん、このゴミなげといてください」
 ??? そこは3階だったので 「こ、ここから本当に投げちゃっていいんですか?」と躊躇してしまった私。
 何のことはない、上司は北海道出身で 「なげる」は「捨てる」という意味だったのだ。

 地域によって そこでしかわからない言葉が沢山ある。
 聞いてみると、けっこう楽しいものである。
 
 さてさて、もう夜中の12時を回ってしまったようだ。
 ねんべねんべ  ( 寝よ寝よ。。。^^)
9月8日    『 まだマシ 』 

 この土日、ありがたく予約で埋まっていた為、息子と過ごす時間が短かった埋め合わせに
 昨夜帰宅してから 近所の温泉に連れて行った。
 つくづく 「ゆ」好きな息子なおかげで、こちらも「湯ったり」できて一石二鳥。

 いつものように大きな露天風呂に喜ぶ息子を眺めながら、
 先日近所のお母さんに言われた事を思い出した。

 幼稚園も新学期が始まったが、幼い子達は長い期間休みで しっかり家で過ごすのに慣れてしまったせいか
 朝なかなか幼稚園バスに乗れない子もいる。
 ママと離れるのがイヤで泣いてしまって動かない子もいる。
 私の息子も家の中では少々そんな気配もあったけど、バスには何とか普通に乗ってくれていたが、
 その子は 泣いて泣いてママにしがみついて離れずにいる状況で
 毎朝みんなで引き剥がすようにしてでないと バスに乗れなかった。
 
 私の場合、その日の予約状況で、園バスまで 送り迎え出来る日と出来ない日があるので
 そんな日は母に頼んでいる。
 それでも会社勤めの時は 全く送迎できなかったので、それに比べれば今は大分いいと思っている。
 
 その日は朝からの予約で、帰りはお迎えにギリギリ間に合うような日程だった。
 なので そのお母さんと一緒にバス停で待っている時のこと。
 今朝はどうだった〜?と何気なしに聞いたらば
 
 「今朝も泣いていたからねー、こう言って諭したの。
  Kちゃんは、お母さんがお仕事で居なくて お母さんとおうちでバイバイしなくちゃいけないけど
  ママはいつもおうちにいるから、ギリギリまで一緒に居てバスでバイバイできるでしょう?
  Kちゃんに比べたら あなたはずっとマシなんだから 頑張って行きなさいって言ったんだ〜。」
 
 ちなみに彼女は普段から一緒に子供遊びに連れて行ったりして とても親しくしてる人である。
 子供同士も仲が良くて、近くにこういう人が越して来てくれて良かったなーと 常々思っている。
 ので、決して悪気があって言っているのでないことは よくわかっている。
 でも、
 その言葉は、私の心の中に 小さくコトンと音をたてた。
 “ マシ ” かあ ・・・・・・ 。

 とっぷりと温泉につかりながら 何がひっかかってコトンとしたんだろうかと考えてみた。
 「〜に比べたら まだマシ」だから と 自分を奮い立たせたりする事は 誰でもあることかもしれない。
 あんなにも辛くても頑張ってる人が居るんだから、自分なんてまだまだ甘い甘い、と考える事もよくある。
 その彼女も おそらくそういう意味で使ったのだろう。
 でも 心に引っかかった。
 「〜よりマシ」 という言い方は、悪い状況の選択の中で使われる言葉だからかもしれない。
 どっちもどっちだけど、こっちの方がまだマシ。。。というような時に使うんだよな。。。
 きっと、子供にそう言って聞かせたところなのかもなー と思う。
 幼い子の中に 「自分の方が Kちゃんよりマシ」 とインプットされるのが 私はイヤだったんだと思う。
 私自身は何と言われようと、別段いいのだが
 息子の世界に影響がありそうな事には どうしても神経過敏になってしまう。
 
 何も!そんなことでいちいち心波立たせていては この先もたないぞ!と 思いなおした。
 それこそ、「あの子はお父さんが居ないんだから あんたの方がマシでしょ」と言われなかっただけでも
 まだ “マシ” だと 考えよう。
 (実は言われてるのかもしれないけど ^^;;)

 日本語はつくづく難しい。
 私も気がつかないうちに 言葉の選択を誤って 悪気無いままに人を傷つけてしまっている事があったかもしれない。
 「自分がされてイヤなことは 人にもしない」 と 日頃 子供に言って聞かせているが
 改めて 自分の言動も気をつけなくちゃいけないな〜 と思った。
 
 こんなにぶつぶつ考えながら 湯に浸かっていたので すっかり湯あたりしてしまった夜だった f(^_^;。。。

 

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